下北半島のサル調査会

HOME> グルーミングサロン > 分布変遷> 1960年以降〜1999年までのニホンザル> 1960年以降〜1999年までのニホンザル2





   調査目的
   年間スケジュール
   調査地域
   提言
   調査員紹介


   調査報告ダイジェスト
   生息域拡大について
   分布/個体数/群数
   profile
   サルの暮らし
   サルの食卓


   下北半島のサルや
   自然についてのTOPICS


   俳句/イラストなど
   

   研究/論文など



1960年以降〜1999年までのニホンザルの分布

<群れの生息密度も南部域が高い>

 これを、つぎは群れ数で見ると、1998年時点で、北部は15群前後、南部は6.5群とすると、北部の群れは1群で約28.7区画(430区画/15群)利用し、南部は1群が約10.9区画(71区画/6.5群)を使っていることがわかる。南部は群れ密度も2.6倍ほど高いのである。
 分布面積で個体数算出することは南北で異なっているため、注意する必要がある。

<布域の拡大率は、なぜ北部が大きく南部は小さいのか? また個体数密度は、なぜ北部が低く南部は高いのか?>

 南部地域個体群の頭数密度は前述のように北部より2〜3倍高く、餌づけ以前からこの傾向を持っていたのではないかと推定される。この南部地域個体群の背景には、一定の地域で、より密集して生活しなければならなかった理由、あるいは密集しても生活することができた理由があったと考えられ、一方北部個体群には、広域に分散し、拡大して生活しなければならない、あるいは生活できる背景があったと思われる。
 それは氷河期にまでさかのぼって獲得されたものなのか、あるいは明治以降の狩猟圧によって主に習慣づけられたものなのかわからない。ともあれ食糧確保がむつかしい生存条件のもとで導き出された生活スタイルだったことはほぼ間違いないと思われる。
 例えば、南部地域のサルを発見調査する際、筆者も含め多くのサル調査者は、サルの群れを、過去たびたび海岸地帯で発見し、彼らが海浜生物を摂取しているところを観察している(伊沢1984)。冬季間や夏の食糧端境期の食糧不足の時期(体重が減る時期と重なる。松岡2000)を海岸地域の海藻・魚介類を摂取することによって生存条件の劣化を乗り越えることができたと考えられる。海藻・魚介類という海浜資源は個体数密度にも耐えうるものであった可能性は高い。こうした、南部地域個体群の海岸域依存体質が、分布域の拡大を押さえてきたのかもしれない。
 その後、下北A群の人間からの餌付け活動・給餌によって、極端に個体密度が高くても生活できるような状況にいたり、餌付け終了後もA群由来の各群れは、田畑の農作物依存や道路工事や牧場開発による常緑で栄養価の高い外国植物(法面崩落防止用に吹き付けられたシロツメクサなど)に依存することによって、生息面積も小さく済んでいると考えることができる。
 O群、B群、U群は餌付けの影響は間接的にしか受けてはいないが、生息域は海岸に依存できる場所であり、最近では道路工事による法面依存も見られる。
 以上、南部地域個体群生息地の海岸域を中心とした地域の扶養能力は低くなく、サルたちもその条件をうまく利用してきたのではないかと思われる。
 一方、北部地域個体群は、下風呂や風間浦の海岸域利用以外は、ほとんど内陸部のヒバ、ブナの森林地帯で暮らしてきた長い歴史がある。この広大な森林面積を背景に、特に冬季は広域遊動をすることによって(足沢1975)食糧を確保してきたと考えられる。冬期における食糧確保は主に冬芽食い、樹皮食い、常緑のヒバ食いなど採食植物は70種類ほど確認されている。
 ヒバの葉食いは、ここ10年ほどはあまり観察されていないが、1960年ころの研究者の猟師への聞き込みでは、冬季、サルの胃の内容物の半分はヒバの葉が入っていたという記録があるし、また、「下北のサルの食草」(モンキーNo.120、1971年)の中で里見信生氏は、採集された糞15資料の内3分の1の5資料にヒバが見られ「その採集場所も上二股沢・目滝沢・大向沢と広く、しかも5資料を平均すると全量の半分をしめる高率で食べている。その食べる部分も葉・枝・皮等各部に及んでいる」と報告している。他地域でもあまり報告例のないこの常緑のヒノキアスナロを、かつてはかなり摂取していたことがわかる。
 こうして、多種類の植物を食糧として利用し、広域に遊動することによって摂取する量と質を保って生き延びてきたと思われる。また、このような広域遊動は同じ個所を通る頻度は必然的に少なくなり(足沢1975)、その分、猟師に発見されるチャンスも減り、狩猟最盛期における地域的絶滅を免れる結果にもつながったと思われる。
 広域に遊動することが、彼らの生存を確保することにつながったことは間違いなく、こうした南北の生活スタイルの違いが今回の分布域拡大に大きく作用していると考えてよいのではないだろうか。

<植生と分布域の関係>

 つぎに、分布域と植生の関係にふれてみたい。
 現在の植生図に、1999年のサルの分布図を合わせて、俯瞰して見ると、近年の伐採とスギ、ヒノキの植林地の広大さは異様であるが、こうした地域に重なりながらも、サルの分布域の中心がブナ、ヒバ、コナラ帯におおよそ重なっていることがわかる。ニホンザルの生息域が自然林に拠っていることはこれまで多くの研究者が指摘してきたとおりである。
 脇野沢地域は植林地と重なる部分が多いのだが海岸部地域の自然林を残しており、田畑依存と合わせて下北A群由来3群の生存が維持されていると考えてよいだろう。
 足沢(1975)の1973年以前の北部域の調査をまとめた論文によれば「積雪期の全遊動ルート・・には全体として見ると、巧みに造林地を敬遠して遊動している様子が眼に写る。古い造林地も避ける傾向が強い。」としている。すなわち下北半島においても、自然林の存在が生存に不可欠な用件であることは確かで、これまでの分布の拡大方向が、北部域では海岸部はもちろん、内陸部に向かう傾向が強まっていることが理解できるし、南部域についていえば、なぜ川内町側へ分布を拡大していかないのかが、川内町側が広大な伐採と植林地の出現が分布の拡大を拒む大きな根拠となっていると推測してよいようだ。ただし、前述したように南部地域個体群の生息個体密度の高さも拡大しにくさの要因になっていることもあわせて考慮すべきだろう。
 植生は、今後とも分布拡大の方向を強く規制する要因であると考えてよいと思われる。

謝辞

 今回の報告は、筆者が下北半島のニホンザルについて長年追ってきた古分布の復元と分布の変遷に関するものの一端である。まだ、緒についたばかりで不十分な部分が多いが、調査30年、西暦2000年を区切りとしてとりあえずまとめたものである。
 この研究にあたって、過去、3回の京都大学霊長類研究所共同利用研究費、プロ・ナツーラ・ファンド(自然保護協会研究費)そして、1999年から2001年現在まで行われている「後氷期におけるニホンザルの成立過程に関する研究」(代表者;茂原信生)文部省科学研究費などによって遂行できた。記して感謝申し上げる。また、今回の拙稿をまとめるにあたって京都大学霊長類研究所の川本芳助教授には分布拡大に伴うさまざまな点で助言をいただいた。そしていつも気軽に相談にのっていただき、一緒に調査してきたいただいた松岡史朗氏、足沢貞成氏、伊沢紘生氏、森治氏、多くの下北半島サル調査会の若手メンバーに深く感謝するしだいである。

参考文献

 ※1:亀井節夫 ※2-1:Mituo Iwamoto and Yoshikazu Hasegawa(1972);Two Macaque Fossil Teeth from the Japanese Pleistocene, PRIMATES,13-1,77-81,Japan Monkey Centre
  ※2-2:長谷川善和他(1988);下北半島尻屋地域の更新世脊椎動物群集, 国立科学博物館専報第21号
  ※3:第四紀研究会 宮崎道生(1970):青森県の歴史,山川出版社
  岸田久吉(1953);代表的林棲哺乳動物ホンザル調査報告,鳥獣調査報告14,農林省林野庁
 上原重男(1974): 徳田喜三郎(1959);津軽と下北のサル, モンキーNo.16, 日本モンキーセンター
  吉場健二(1959);東北地方の野生ニホンザル調査報告, 野猿5, 日本野猿愛護連盟
 和田一雄(1963);雪国にすむニホンザルの生態(続), 野猿12, 日本野猿愛護連盟
  西田利貞・伊沢紘生(1963);世界のサルの北限地をたずねて, 野猿15, 日本野猿愛護連盟
  西田利貞(1964);下北半島、奥戸川上流の野性ニホンザル, 野猿18, 日本野猿愛護連盟
  竹下完(1965):野生ニホンザルの分布およびポピュレーション下,野猿20・21号,日本野猿愛護連盟
  里見信生(1971);下北のサルの食草(1)(2),モンキーNo.120,No.121, 日本モンキーセンター
  足沢貞成(1975);下北のニホンザル−冬の遊動生活と森林の変貌−(1),モンキーNo.144, 日本モンキ ーセンター
  足沢貞成(1975);下北のニホンザル−冬の遊動生活と森林の変貌−(2),モンキー No.145・146,日本モンキーセンター  足沢貞成(1976);1923年当時のサルの分布に関する補遺, よし
  足沢貞成(1979);1978年下北A群, モンキーNo.165, 日本モンキーセンター
  足沢貞成(1992);下北のサルそして日本のサル, モンキーNo.243, 日本モンキーセンター
  古市剛史(1980);下北A群の分裂と遊動, 脇野沢村委託調査報告書
  伊沢紘生(1979);北限のサルの現状と保護, モンキーNo165・165, 日本モンキーセンター
  伊沢紘生(1984);海岸のサルと奥山のサル, 下北のサル, どうぶつ社
  伊沢紘生(1982);ニホンザルの生態, どうぶつ社
  菅江真澄(1986);菅江真澄遊覧記, 東洋文庫,平凡社
  上原重男(1977):「食性からみたニホンザルの適応に関する生物地理学的研究」,形質・進化・霊長類,中央公論社
  長谷部言人資料(三戸幸久判読1989):「大正十二年(一九二三年)東北帝国大学医学部による全国ニホンザル生息状況のアンケート調査に対する各郡,支庁,島の回答資料(東日本編)」,220pp.私家版
  三戸幸久(1992);東北地方北部のニホンザルの分布はなぜ少ないか,生物科学44-3, 岩波書店
  下北半島のサル調査会(1999):下北半島のサル 1998年報告書
  松岡史朗(2000);クゥとサルが鳴くとき, 地人書館
 重定南奈子(1992);進入と伝播の数理生態学,東京大学出版会

文章・作図  三戸幸久

←前ページ 


当ホームページの全ての著作、写真、イラスト等には著作権が存在します。全ての無断転載を禁じます