下北半島のサル調査会

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わたしたちの生活とのかかわり

材の特徴と多様な用途についても興味深いものがあります。木部は緻密で細工しやすく、軽くて均質、素直だが強度は弱いけど断熱効果が高いといわれます。植栽の目的では街路樹、景観樹、緑陰として利用されています。北海道土産の熊の木彫りは、ほとんどがシナノキを使っているそうです。マッチの軸、アイスクリームのヘラ、アイスキャンデーの棒、割り箸(木質部がサンショウに似た香りがする)、引き出し、楽器、経木、合板。特に、合板は音楽のリスニングルームに張ると音がまろやかになるといいます。クラッシックを聞くのにはシナ合板の壁でできた部屋がいといわれています。一方、ジャズはコンクリートの地下室などが良いそうです。
ところで、シナノキと同属のボダイジュはその種子から数珠をつくったり、寺院などに庭木として植えられたりしているのだそうです。「菩提」とはサンスクリット語のボーディbodhiの音写で「悟り」のことで、まさにこの樹の下で釈迦が悟りを開いたといわれています。しかし、ここで言う菩提樹はインドボダイジュ(Ficus religiosa L.)のことで、これはクワ科イチジク属だそうです。葉の先が尖っていて少し似ているそうですが、シナノキとは全く科も違う木とのことです。
シナノキの花から採れる蜂蜜は香りがよく、シナ蜜と呼ばれる良品だそうです。むつ市関根地区の山林では養蜂家が毎年ミツバチを放して蜜を集める光景が見られます。周囲にはシナノキもあるので、これらの蜜も含まれるのかもしれません。アメリカではビーツリー(蜜蜂の木)と呼ばれているそうです。シナノキはきのこ採りにも貢献します。秋には、むきたけ、ひらたけ、ならたけ(下北地方ではサモダシとかボリボリの名で親しまれており、枯れ木上に群生)等の美味しいきのこが発生するといわれるので楽しみです。また、きのこのオガクズ栽培用にも適しているとのことです。実際、オガクズをブロック状に固めたものを温度と湿度を管理した室内に置き、きのこを発生させているのを「下北森林組合きのこセンター」で見たことがあります。薬用として花は発汗薬や鎮静薬に、果実は止血に、葉は潰瘍や腫瘍に、樹皮の粘液は火傷や創傷の薬に用いられるそうです。また、アメリカでは花から作ったお茶「リンデンティー」が飲まれているそうです。さらに、浴湯料などにも良いようです。
樹皮は繊維が強く耐水性があるため、シナ袋をつくり酒・醤油の漉し袋や蚊帳に加工されたり、船舶用のロープにされたりするそうです。また、この樹皮はシナ織の原料ともなることで有名です。生木から樹皮をはいで、これを裂き、糸を作りますが、このことを「シナウミ」と言うそうです。シナノキは主に樹齢15〜20年のものを利用し、樹皮は剥ぎやすい六月頃に採取したあと、一ヶ月間水に漬けるか、煮て柔らかくするのだそうです。そして、これをたたきながら、表面の黒っぽいところを捨て去ると、白い繊維となるそうです。農閑期を利用して冬に糸を紡ぎ、春に布を織るのだそうです。主に男性は樹を育てる(冬場に積雪の高さを利用して柄の長いノコで枝打ち作業)役目で、女性は糸を紡いで布を織る役目を担うそうです。このことからシナ織は男女共同作業の結晶といわれます。それゆえ、できた布は美しく、力強いと言われ、母と父の温もりを感じさせるそうです。布は主に、草履やバッグに加工されます。最近では芸術性の高いランプシェードなども作られているとのことです。紡ぐ糸の堅さは毎年微妙に変わると言われます。一日に200メートルほどの糸ができ、ひと冬では40キロメートルほどにもなるそうです。シナ織の主な産地として山形県温海町関川地区が知られています(わたしの故郷から約50キロです)。ここは数百年の歴史があるそうです。

青森・下北半島とシナノキ

青森の三内丸山遺跡の縄文人もシナノキを利用していたようです。衣類には編み製品と皮製品がありますが、編み製品の素材にシナノキ(他にイグサ、フジ、クズなど)を使い、その技術は高度なものであったと推察されています。縄文人は樹皮の繊維で上質な強い縄や肌触りが良くて長持ちする布を作っていたのでしょう。また、様々な縄を作り、それを粘土のうえに転がして縄文土器の模様を付けたといわれます。実際に転がしてみると意外な模様ができあがるそうです。シナノキの利用においてアイヌ文化と縄文文化はとても共通している点があるそうです。
シナノキと聞くと思い出すのが、東通村を流れる千鳥沢です。ここの流域は、フクロウの声も聞かれ、下北半島のなかでもきわめて自然度が高いように思えます。大きな横枝を腕のように延ばした太いシナノキ(写真)がミズバショウ湿原のほとりに生えているところがあります。折れた大枝の一部が梯子のように幹にもたれかかっており、中段まで登るのに好都合です。ここから湿原を良く見渡すことができます。幹に巻きついたツタウルシを触らぬようにして胸高直径を計ってみると、なんと153センチもありました。木の高さは15メートルほどに見えます。中心部は空洞ですが、立派な巨木といえます。シナノキは下北半島ではあちらこちらに見られますが、特に、桑畑山の沢の源頭部などにこんもりと生えているのが印象的です。樹木図鑑(保育社)には「シナノキは石灰岩地によくあるが、石灰岩以外のところにもある」と記されています。どおりで、石灰岩からできている桑畑山で目立つわけです。
下北郡川内町に「品木崎」という崎があります。寛永16年(1640)に鎖国令が布かれたとき、ここに沿海警備のための「船遠見番所」が設けられたと川内町史に記されています。また、同町の宿野部地区の「榀ノ木平(しなのきたい)」というところでは弥生時代の先駆的な遺跡が発掘されています。ここで出土した宿野部式土器(変形エ字文・波状エ字文)から稲籾の圧痕がみつかっています。アイヌ文化と関係があることでも注目されているそうです。また、むつ市の東端(むつグランドホテル付近)には「榀ノ木」という地名があります。これらの場所にはシナノキがたくさん生えていたり、大木があったりして、樹皮の採取をしたのかも知れません。海に囲まれた下北半島では船などを繋ぎ止めるシナノキのロープが重要であったと想像されます。

シナノキの記憶

シナノキでいくつか思い出すことがあります。音楽では、シューベルトの「冬の旅」 の中にある歌曲「菩提樹(これもセイヨウシナノキといわれる)」としても有名です。そういえば、中学校のときに「リン、デン、バム・・・」という歌詞を歌わされたような記憶があります。ドイツで製作された「菩提樹」という映画(1957年製作)は原題を『Die Trapp Familie』といい、オーストリアから亡命、米国に移住するまでのトラップ男爵一家のお話です。ナチスドイツから逃れてアメリカの港に向かいますが、ここで入港を拒否されたときにトラップ家が歌った歌が「菩提樹」だったのだそうです。さらに、このお話を基にして作られた映画「サウンド・オブ・ミュージック」はわたしも観ましたが、音楽祭でトラップ家が歌った歌は「エーデルワイス」でした。映画の中でセイヨウシナノキらしき木がどこかに登場したかどうかは全く覚えていません。今度、いずれかの映画を見観るときはシーンのなかに出てくる木を良くみてみようと思います。
昔、わたしが通った学校の校庭や寮の前にはアメリカボダイジュ(Tilia americana)が何本か植えられていました。二階の窓から見る大きな樹幹は暑い夏でも涼しさをかもし出していました。この木の下に椅子とテーブルを持ち出しては読書やバーベキューをしている学生たちをときどき見かけたことを思えば、なかなか人気のある木だったようです。夜になるとフクロウがてっぺんにとまって「ホッホー」と鳴いていたのを思い出します。

結論

このようにシナノキについて調べてみると、わたしたちの生活のなかで、古代から知らず知らずのうちにお世話になっている木であることが分かりました。わたしが思うに、「ゆがんだハート」の形をした葉ではありますが、実は「白くておとなしい性格」の持ち主であり、みんなが頼れるしっかりものだとあらためて好感をもちました。そんなわけで、山の中で大きなシナノキに出会ったら、是非、話しかけてみようと思うのです。

文責:鈴木邦彦

参考資料

NHKテレビ番組、クローズアップ東北(2004年2月27日放送)
原色日本植物図鑑木本編(I)保育社
原色日本樹木図鑑 保育社
野山の植物 牧野晩成著 小学館

森の博物館 稲本正著 小学館
北海道樹木図鑑 佐藤孝夫著 亜璃西社
川内町史(自然・民族編)川内町
青森県の地名 平凡社
青森県のきのこ 本郷次雄・長沢栄史監修 グラフ青森
DATA-PLANETS Service”樹木検索サイト
北海道石狩森づくりセンターHP
Botanical Essay HP
Grassfeel HP
百花瞭然HP
磯キリンのガーデニング道楽HP
上磯町の樹木HP
北川木材工業(森の博物館)HP

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