サル雑感  2005年1月2日  寺山 光廣

 軽井沢に古くからあったと思われる道を歩いていると、路傍に数多くの石仏や石碑を見かけます。道路の拡幅や盗難防止のため、一カ所に集められている所もありますが、それでも繁華街を少し離れると、家の数よりも多いのではと思われるほど見ることができます。字だけが彫られたものもあれば、姿形のあるものもあります。その中のいくつかは、伝統行事と結びついて現在でも大切にされていて、信州ではおなじみの道祖神や街道筋らしく馬頭観音、それらに較べると数は少ないのですが庚申塔も残っています。

 私が育った世田谷のはずれは多摩川の河岸段丘の上にあって、古い農村集落でしたが水田はなく、戦後の食糧難がまだ続いていた頃には、陸稲(おかぼ)や野菜の畑が広がっていました。
家から表の道に出るとすぐに小さな祠にはいったお地蔵様、裏の畑道には馬頭観音と庚申さんがありました。うわべだけイルミネーションで飾った観光地軽井沢ではなく、軽井沢の農村集落を歩いていると、半世紀タイムトリップしたような気がします。

 庚申信仰というのは60日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日の夜、周辺の男衆が集まって、「清く正しい」一夜を寝ずに過ごす行事のようです。その夜、寝入ってしまうと、体の中から「虫」が出てきて、欲望に負けて行った悪行の数々を天に言いつけられ、罰せられて早死にすると怖れられ、一番鶏が鳴くまで、みんなで寝ずの行にはげんだそうです。「見ザル・言わザル・聞かザル」が彫られている庚申塔もあり、実は4匹目のサル「?ザル」が臍下を両手で押さえているという笑い話もあります。

 軽井沢にもともとサルがいたのかどうか、火山性の土壌では古い骨などが残りにくいでしょうし、明治の初め頃の写真で見るような草原が広がっていたとすれば、サルにとって棲みやすい所ではなかったでしょう。
 平安時代の終わり頃に続いた大噴火で流れた追分火砕流の下から、炭化した樹木が出てくるという話しを聞いたことがありますが、それ以前の軽井沢はサルも棲めるような森林があったのかもしれません。もっと古くは縄文時代、日本の気候は今より温暖で、八ヶ岳の黒耀石交易ルートにあたる軽井沢でも、人々はイノシシやシカ同様、サルも狩りの対象としていたのではないでしょうか。

 この十数年、サルの群れが一つ、軽井沢にやって来て棲みついた原因がいろいろ言われていますが、そのいずれもが当たっているようでもあり、しかし「サルの勝手でしょ」という方がピッタリくるようでもあります。
科学というものは、ものごとの変化の因果関係を合理的に説明するものだという「信仰」があって、偶然とか恣意とかは排除される傾向にありますが、人間だって誰もが「住みやすい」ところに集中しているわけではなく、「軽井沢のような寒くて不便な」ところを選んで住む人がいます。
 「避暑地軽井沢」を発見したクラフト・ショー氏同様、峠に立って軽井沢を見渡した群れの雌ザル何頭かが「これこそ我らが求めてきた新天地」と感じたかもしれません。夏だけの避暑客とはちがい、冬は札幌と同じぐらいに寒さが厳しい軽井沢の地が彼らにとって極楽でもなく地獄でもなく、しかし確かに言える事は、草原が広がっていた昔の軽井沢と違って、現在はサルが棲める環境になっているという事です。

 それでは、昔の軽井沢はなぜ草原だったのかについてちょっと考えてみましょう。
 よく言われる事に、天明の大噴火の影響があります。確かに大きな災害ではありましたし、焼け石による火災があったとも書かれていますが、峰の茶屋から鎌原にかけての北東斜面のように、なにもかも焼き尽くし埋め尽くすようなことは軽井沢ではありませんでした。もともと火砕流や軽石で土地がやせていた事もあるでしょう。奈良時代以来の「長倉の牧」からもわかるように、牛馬の放牧や草刈り場に利用されてきた歴史もあります。東山道や中山道の駅や宿場があったので、地元住人の消費量よりはるかに多い薪や炭の需要があったために森が出来なかったのかもしれません。
 明治になって、植林が進められますが、戦争中の燃料不足や戦後の大きな台風の影響で、昭和30年頃の軽井沢にはマツムシソウやオミナエシの咲く草原がたくさんありました。明治以降、私達はサルやイノシシやクマが棲みやすい環境に軽井沢をせっせと作り変えてきたということです。

 しかし今、軽井沢全部をサルとイノシシとクマに明け渡すわけにはいきません。お隣の猫のように、毎日仲良くつきあうわけにもいきません。でも、さいわいなことに軽井沢はとても広い。世田谷区の3倍近い面積の中に、44分の1の人間が住んでいます。これほどの好条件に恵まれているのですから、この広い土地を有効に利用して、サルやイノシシやクマの棲むところ、人間が住むところ、彼らと人間がお互いに遠慮しながら棲むところ、というようにいろんな利用の仕方が可能です。
 人間は一年中森の中では暮らしていけません。特に軽井沢のような寒冷地では、太陽の光は大切ですし、食べ物を育てるためにも森の中にいるわけにはいきません。軽井沢常住者のほとんどが明るく開けたところに住んでいます。一方、一年の何分の一かだけ軽井沢に滞在する人々が森の中にいたいと思うのなら、森の住人である動物たちと上手につき合う方法を、あるいは上手につき合わない方法を学んでもらうしかありません。

 森に限らず町場でもそうですが、自然の中にはスズメバチのようにサルやクマよりはるかに危険な生き物がいます。軽井沢でも過去に死亡例がありますし、毎年多くの人が救急車で病院に運ばれます。かわいい野鳥が風呂釜の排気管に巣を作り、不完全燃焼で一酸化炭素中毒をおこす事もあります。
 しかし、危険だからといって、彼らを皆殺しにする事はできません。サルがテレビのアンテナを壊す被害だけでなく、キツツキは家の壁に穴をあけ、ムササビは屋根裏で営巣し、ヤマネや野ネズミは押入の布団で子どもを産み、カメムシは洗濯物に潜み、ムカデやブヨやアブは人を刺します。
 害のある昆虫を全て駆除しようと薬をまけば、トンボもホタルも飛ばない、カエルや鳥の声も聞こえない寂しい軽井沢になってしまいます。戦後、DDTを頭からかけられた経験をもつ日本人に衝撃を与えた書・サイレント・スプリング(レイチェル・カーソン著)の警鐘は、いま軽井沢に住む私達にむけられています。
 動物たちとのつき合い方・避け方を身につけること、そしてこの広い軽井沢の自然の中で、人間と野生動植物がどのように暮らしていくのか、そのビジョンをつくる事が求められています。

 軽井沢というところは東西に10km、南北に15km、標高は800mから2500mまで、平面的にも垂直にも広いところです。そのほぼ中央部を東西に中山道(国道18号)と鉄道が通り市街地が発達していて、南側にいくつもの農村集落、そしてそれらの両側に大きな別荘地という形になっています。軽井沢の北側3分の1は国有林などで人間の居住地ではなく、浅間山の火山砂礫地、亜高山帯の生態系、針葉樹林や落葉広葉樹林、カラマツ人工林、沢筋の生態系等多様な自然環境が展開しています。

 なぜサルの群れが人間の居住地に定着してしまったのかを考えるとき、猿害が問題とされている他の所では、奥山の開発・人工林化で餌が不足したから里に下りてきたとよく言われます。しかし、軽井沢のサルにはそれがあてはまりません。それまで彼らが暮らしていた碓氷峠の山々より、軽井沢の別荘地の方が暮らしやすいという事かもしれません。観光客や別荘民の餌やりが移動のきっかけになったという事はあるかもしれませんが、現在彼らが人間の与える餌や畑の作物を主な栄養源にしているわけではなさそうです。むしろ、軽井沢の別荘地に豊かな自然が復活していると見るべきなのでしょう。

 ここで問題になるのは、軽井沢のどこにどのような自然を残し、どのような自然を育てるかというビジョンが必要だということです。
 市街地にやたらとサルやクマが好む環境をつくるのは考えなおさなければなりません。別荘地でも木と木の間隔をあけ、枝をつめ、サルが木を伝って移動出来ないようにして、「サル好み」でない庭にすることもできます。反対に人が住んでいない奥山の植生が疲弊していては、野生動物が棲めなくなります。カラマツの人工林がいけないという非難をよく聞きますが、スギやヒノキの人工林でも造林の仕方によっては、サルも棲めるという報告があるそうです。密植を避け、枝打ち間伐を充分に行い、下層の植生が発達するように手入れすれば、スギやヒノキに較べると明るいカラマツの林には多くの野生動物が棲める可能性があるでしょう。

 たしか昭和23年まで、サルも狩猟の対象でした。 サルが人間を怖がるのなら理解できますが、最近の軽井沢では人間の方がサルを怖がります。
 いつから人間はそんなにひ弱の生き物になってしまったのでしょう。 サルが窓を開けて入ってくるとか、テレビ・アンテナに登って壊すと苦情をいう人がいます。いつから人間はサルより知恵が衰えてしまったのでしょう。鍵をかけておけば、まさかサムターン回しをやるサルはいないでしょう。屋根に上がれないような工夫や、アンテナのパイプにグリースをべったり塗っておくとか、グリースにラー油を混ぜてみるとか、知恵比べを楽しんでみるのも別荘暮らしのおもしろさかもしれません。あまり苦情が多いのなら、テレビの有線化を進めるのもいかがでしょうか。

 日本にたった二種しかいない霊長類の人間とニホンザルが、いがみあったり殺したりすることは避けたいのものです。高度な道具を駆使できて2000倍からの個体数をほこる人間が、圧倒的少数者に対し、殺す事しか出来ないなどというのは、ホモ・サピエンス(知恵ある人)の尊厳を傷つけ、「名がすたる」のではないでしょうか。

続・サル雑感 に続く


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