下北つれづれ(2)迷い鳩
初冬(11月中半)のある夕方、サルの調査から帰ると、アパートの玄関脇にドバトがいた。ハトはわたしの目の高さくらいにあるガスメーター上に右足をのせ、左足は上に突き出たL字型金属製配管の水平部にのせている。停まっている姿は妙に窮屈そうだ。突然現れたわたしの方を落ち着かないように見ている。その日は前の晩から雪が降り続き、除雪車が出動し、あちこちのガソリンスタンドではタイヤ交換で列ができていた。雪の吹き込まない狭いアパート玄関脇に翼を休めに来たと思われる迷い鳩と見うけられた。玄関からそっと妻を呼び、ハトが訪れていることを告げた。そして、メモ用紙とペンを取ってもらった。ハトの足に標識が付いていたので番号を書き取ろうと思ったからである。わたしは明日にでも飛び立って帰って行くだろうと期待した。
翌朝、玄関のドアをそっと開けてみるとハトは姿を消していた。しかし、その夕方にはまた戻っていた。ハトは外見上、怪我をしたり、衰弱しているようには見られなかった。わたしは、折りからの雪や寒さを思うと体力の消耗が心配になった。ハトの留守中、応急的にありあわせのダンボールで停まり木と飛び立ち台の付いたシェルターを作り、ガスメーターの横に取り付けた。また、台所からアワを小皿に入れてシェルターに入れた。水は外の水溜りで飲むと思い、置かなかった。夕方、家の中からそっとドアを空けて見てみると、ハトは作ったばかりの停まり木に停まっていた。ハトの留守中にシェルターを覗くと、餌を食べた様子はなかったが、入口付近に糞がいくつか残されていた。
ハトの足の標識情報を読むことは難航し、実は、3日間を要した。わたしが30センチくらいまで近づくと「グゥクゥ、グゥクゥ、グゥクゥ」と鳴く。足を踏み替えたりするのでなかなか読めなかった。さらに、顔を近づけて読もうとしたら、パッと飛び立って、玄関脇をすり抜け、暗い夜空に飛び去った。ところが、数時間すると、また玄関脇に戻っていた。デジカメで角度を変えて撮影してみたりもした。あるとき、わたしはハトに向かって、静かに話しかけながら、ゆっくりと顔を近づけた。とうとう、左足の標識に「JPN2000 ◇◇ ○○○○○」と アルファベット(◇)と数字(○)が記されているのを読み取った。右足に付いているのは緑色をした文字なしの標識管だった。
インターネット検索の結果、日本には「社団法人 日本鳩レース協会」と「社団法人日本伝書鳩協会」があり、それらは足に付けられた標識によって区別されることがわかった。前者は「JPN」と書かれており、後者は「NIPPON」 と書かれている。日本鳩レース協会のフリーダイアルに電話をして指示を仰いだ。その結果、わたしのところを訪れているハトは北海道のハトであることが分かった。捕獲できた場合、函館の協会事務局が引き取ることになった。
わたしは大きな風呂敷を手にして停まり木の上にいるハトに接近した。上からパーッと覆いかぶせて捕まえる作戦であった。「グゥクゥ、グゥクゥ、グゥクゥ」と鳴きはじめる。ハトがそわそわしだした。今だとばかり、思いきって風呂敷をひるがえすと、下の隙間から、スッと逃げられてしまった。こんなことがあっても、ハトは四〜五時間後に再び停まり木に戻っていた。わたしは再び風呂敷を手にしてハトの前に立った。一メートル以上も離れているのに風呂敷を見ただけで、もう、そわそわして今にも飛びたつ姿勢を見せた。ハトはあの時の恐さを忘れていないようである。今度は試しに、風呂敷を持たずにハトに近づいてみた。すると、以前のように接近ができるのである。
捕獲法について協会事務局に問い合わせたところ、あたりが暗い状態で、タモ網で捕まえるのが良いと教えてくれた。早速、会社からタモ網を貸してもらい、チャンスを窺った。次の日の明け方、わたしは停まり木にとまっているハトの正面に立った。ハトの注意をこちらに引き付けておきながら、静かに手早く、横から壁に向けて網を振った。あっけなくハトは捕まった。壁から外したシェルターにハトを閉じ込め、家の中の少し暗いところに保管した。後に、ハトを取り出して、むかし教わったことがある「鳥の外観検査」を思い出しながらやってみた。両翼の初列風切10番目(一番外側の大きな羽)の先端に欠損が認められた。また、右足の踵の部分には古傷が認められたが、支障があるようには見えなかった。目、鼻、口、肛門、翼関節なども健康そうに見えた。体重は人間の体重計で超大雑把に計ったところ0.3キロとでた。
ハトの輸送には「迷い鳩お届けサービス」(日通航空)があるので、料金着払いにて送るようにと協会から指示を受けていた。三沢にある輸送会社の車がハトを引き取りにくるのが2日後と決まった。まだ日にちがあるので、協会事務局に保管についての指示を仰いだところ、お米と水を与えておけば良いことがわかった。ハトの入っているシェルターの横を歩くたびに「ポポッ、グルッ」と声がした。
集荷の日、妻の立会いの元でハトは輸送会社のひとに引き取られた。担当のひとは、持参した箱に手際良くハトを移し替えたあと、「このハトは、今回がはじめてでしょうか?」とポツリと聞いたそうだ。飼い主の苦労が察せられるような質問であった。もらった伝票を見ると、品名「迷い鳩」、搭載予定便「○○○」、お問い合わせ先「三沢空港」と記されてあった。ハトは機械の翼を借りて北海道まで帰っていったのである。
文章・写真 鈴木 邦彦