下北の森に棲む動物はサルだけではありません。カモシカやキツネ、アナグマやネズミなど、たくさんの動物が生きています。これまでこの森で私が一番多く出会ったのは、サル以外ではダントツでカモシカ、ついでアナグマ、キツネ、テン、リスといった順でしょうか。サルと一緒にいるときには、サルたちが彼らにどのような反応をするのか、それに対する彼らの反応も非常に興味深いものです。
いるのは分かっていてもなかなか姿を見ることの出来ない動物もいます。その中でちょっと怖さを抱きつつも、見てみたい動物がいました。ツキノワグマです。私が観察している群れのいる地域では、クマのフンを見ることは非常に稀で、足跡も一回しか見たことがありません。私のほうも用心しなければ…と思いつつも、クマ鈴をつけるとサルの声などを聞くのに邪魔になるので、特に持ち歩きもせず、クマの事を忘れて薮に分け入ることもしばしばでした。
今夏の予備調査中のことです。私はいつもの様にサルの群れを追跡していました。その時サルがいたのは、林道が縦横無尽に入りこみ、この時期のサルが最も好んで食べるエビガライチゴが道を埋め尽くす様に生えているところでした。サルはイチゴを食べながら、ピークまでうねうねと続く林道を上がっていきます。私も時々イチゴをつまみながら、彼らの跡を追いました。やがて道はピークを巻いて稜線のすぐ下を通るようになりました。エビガライチゴは1.5m位の高さになり、同時にアザミやススキといった体にチクチク刺さる植物が道いっぱいに生えています。サルもそういった藪の中で動き回っていてよく見えないので、私は稜線上で彼らの動きを静かに観察していました。
突然、近くでガッガッガッガというサルの威嚇の声が聞こえました。やれやれ、また喧嘩か?と思ったのですが、不思議なことにいじめられた側のキャーキャーという声が聞こえません。しかしガッガッガという声は数ヶ所から続いていて、そのうち私の横5m位のところにあったヒバの幼木がガサガサッと動いたかと思うと、出てきたのは何と真っ黒くて先の丸い2つの耳。クマだっ!!と分かった瞬間、私はすっかり固まっていました。頭の中は真っ白に近い状態だったのですが、ただ1つ、『クマの耳って意外と長いんだなあ…』ということだけ、冷静に観察していたのを覚えています。
クマさんの目的もエビガライチゴだったようです。こちらには気付かず(?)イチゴの藪にまっしぐら、突っ込んでいきました。しかし、不幸なことに付近のイチゴは大方サルが食べ尽くした後。一旦は私から離れた方向に行きましたが、そちらには熟れたイチゴがなかったらしく、すぐに引き返して来て、高みにいた私の足の下3m位まで近づいてきてしまいました。彼(彼女?)は藪に頭を突っ込んでいますが、少し立ちあがったら見つかってしまいます。幸いサル達がずっと騒いでいたので、その騒音に紛れてそっとその場を立ち去りました。その際にチラッと見た感じでは、ゆうに大型犬くらいはあったので成獣だと思われます。
こういう時のサルは、怖さを感じているというよりは、面白がっているようです。相手が届かないようなちょっと高みに上って相手を追いまわし、いつまでもうるさくガッガッガと鳴き続けます。以前、群れの中をキツネが横切った時も、何頭ものサルがキツネの後を追いながら、木の上1m位のところからずっと鳴いていました。サルから少し離れたところで振り返ったキツネの顔は、なんだか『あ〜うるさかった!』といっているようでした。今回のクマの場合は、サルの声もなんのその、一向に気にしない様子でしたけど。
ところで、クマについては後日談があります。翌々日の夕方、私は海岸で波打ち際を南下するサルの群れを観察していました。その日ずっと降っていた豪雨が1時間ほど前にやっとやんで、一緒に調査していた植月さんとようやくじっくりとサルを見る時間を持てたところでした。二人で何気なく後ろを振り向いた時です。海岸北側の標高200mくらいのところにある草地に、黒いものが動いているではありませんか。クマだ!と思った瞬間、近くにもう1頭いることに気付きました。2頭とも頭のほうしか見えませんが、1頭はかなり小さい感じです。二人で「うわあ、親子だねえ」とサルそっちのけで見ていたら、植月さんが「隣の崖の上にもいる!」と指をさしました。何と親子のいる草地の横、100mもない急な谷を挟んで向い側に、もう1頭のクマがいるではありませんか。そして更に3頭目の真下の崖にもう1頭のクマが張りついていました。いっぺんに4頭ものクマ!すっかりサルそっちのけになってしまいました。4頭目のクマは一生懸命崖をよじ登って行き、上にいたもう1頭と合流して、林の中に入っていったようです。こちらの2頭は大きさがあまり変わりませんでした。やがて親子も谷あいに消えていきました。
今回の調査は連日雨で、それもかなり強く降ることが多かったせいか、雨がやんだ僅かな時間に動物達は集中して動いていた様です。サル以外は殆ど見られない年もあるのに、今回はキツネ、カモシカ、リス、テン、そしてクマと多くの動物を見ました。いずれも雨がやんでいるか、小雨の時です。
クマにも興味はありますが、2回目の出会いのようにお互い安全な距離にいるときがいいなあ・・・。至近距離の時は本当にサルに助けられた感じです(彼らにそのつもりは全然ないと思いますけど)。後で他の人に聞いた話ですが、餌を探してる時のクマはあまり周りに気をつけていないらしいのです。山菜採りなんかしていてバッタリ出くわすとよく聞きますが、お互い夢中になってたら充分ありえることですよね。私の場合、じっとしてサルの動きを観察していたこと、風下にいたこと、少し高みにいてクマの動きがよく見えたことが幸いしたのだと思います。
もっともっとサルの声に耳を傾けて、これからも楽しく安全に調査を続けられるように気をつけなくては、と再認識させられた夏でした。
文章・写真 小林 綾