火付け盗賊改め方長谷川平蔵である  2007年10月27日

  東京 信長KING OF ZIPANGU 三太

 九平は盗人であったが、老境に入って足を洗い、今は芋酒屋の主人をしている。
 ある晩、客としてあらわれた侍の器量に惚れ込み、その正体を確かめるべくその侍の後をつける。元盗人だけのことはあり、追跡の忍び足は素早く、また物音ひとつ立てない。  侍はふらりと町屋を歩き、やがて火盗改めの役所まできて、勝手口で振り向き「親父ご苦労」といってにやりと笑う。九平は気取られていたことと、 侍が火盗改めの長官長谷川平蔵であることに驚愕して、その夜の内に姿をくらます。
 犯科帳はこれからが佳境だが、ここで話したいのは鬼平の気配を察する「能力」についてである。

 平蔵はその役目柄、五感+1感を常日頃から鍛錬しているのに違いない。そうでなければ、元とはいえ盗賊の気配を悟る、あるいは聞き取ることはできまい。 そして、その能力は正に神業といえる。
 ところが、感心したあとによくよく考えると、私の回りにはこの様な神業を身につけた人間が幾人もいるのである。 勿論、その人とはサル学のプロフェッショナルであり、モンキーウオッチャーで、どちらも自然の中で身につけたサルを発見する神業は、 鬼平と同列か、あるいはそれに勝るように思われる。
 たとえばサルの観察会で、参加者から質問をいただき、それに答えている最中に発せられたサルの声、また走行中の車窓前方のわずかな木立の揺れを、 気づかず通り過ぎることはまずなく、それも二人なら二人が、数名なら数名のモンキーウオッチャーが同時に反応する。 そんな時に参加者は、きまって「神業ですね」などと感心する。その言葉はとても心地よく響き、ウオッチャー冥利につきるものだろう。
 ただし、鬼平は悪にはその能力を遺憾なく発揮するが、善の音や気配にはあんがい鈍感なのかも知れない。 モンキーウオッチャーもサルが暮らす森の中であっても、クマやイノシシの気配には以外と鈍感で、見過ごしているのではと思う。

 さらに、上には上があるもので、サルを見つけるのではなく、調査地で「サルが待っている」としか思えないことをする人がいる。
 その方は伊澤紘生先生で、山梨県大月市の葛野川流域及び真木川流域でもサルの調査をしておられるが、 今季初冬からこれまでの数十回の調査での出会い率は実に9割を超えている。こうなるともう神通力としか言いようがない。

 東京三太もそれを目指すのだが、いまだ神業にも達していない。頑張るぞ・・・。
 それでは皆さん、アテブレーゼ、オブリガード。


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