「瞼の母」  2005年3月12日  東京三太

 駅前のビデオ屋が店じまいで、ビデオを安く売っていた。ふと見ると、小学5年生のときに近所の映画館で観た、中村錦之助主演の「瞼の母」があった。

 ときは昭和37年のことである。「両の瞼をぴたり合わせりゃ、会わねぇ昔のおっかさんの・・・」、その母親との場面では、忠太郎があまりにもかわいそうで、涙がいっぱいこぼれた。一緒の同級生3人も、いや誰もが泣いたはずだ。一方で、危機一髪のその時、「待て待てパッ」と退屈男が間に合えば、「わーっ」という歓声と拍手が館内に湧き上がったものだ。貧しかったけれど底力があった、あの昭和30年代は二度と再び帰ってはこないのだろうか?。

    ところで、話をどこに持っていくのかと言えば、「ハナレザル」である。番場の忠太郎は、幼い頃に生き別れた母親恋しさに旅立ったが、ニホンザルのオスは年長のオスなどと一緒に、ふらりと群れを出るらしい。こう言うと、両者は対極にあるようだが、それは忠太郎を引き合いに出しているからで、人間でもふらふらと故郷を飛び出た男性は、星の数ほどいるだろう。

 ハナレザルと呼ばれる群れ外オスについては、生息域の内と外で捕獲されたり、柿の果実を食べていたなどの話を沢山聴いている。実際に、交尾季には群れについて歩くオスを毎年観察する。さらに、生息域に突然姿を現したが、いずれの群れにも留まらずに去っていった片腕のオスや、2年の間に隣接する3つの群れを渡り歩いたオス。あるいは群れを出たのかなと思ったが、1−2週間後に、元の群れに戻った遠出のオスもいる。もっと過去には、八王子市の市街地に現れ、多摩川右岸を河口の大師橋まで下り、左岸に渡ってから武蔵野市まで遡り、動物園のアカゲザルのサル山に飛び込んで、ガチンコ勝負におよんだオスザルがいた。

 そして、オスは100%生まれた群れを出ることを、霊長類学者が明らかにしている。それが、結果的には遺伝子の拡散を担うことも知られている。また、これは想像だが、群れは分裂する以前にやっていることとして、オスを群れの外に出すことで環境収容力に余裕を持たせておくということはないのだろうか。もちろん、種付け・防衛力ということは大切だから群れオスは必要だ。でも、1対1で生まれ、将来大食漢となるオスに は、群れの外に出ていってもらったほうが、群れの資源はより長く確保されつづけるので都合がよいように思う。
 出ていったオスは、生きていく過程で体力を消耗して力つきても、その昔ならオオカミに襲われてどこかで死んでも・・・。だがメスよりは補食者から逃げ延びる確率は高い様な気がする。そして、群れ外にいても世捨てオスはいないと思う。オスの生きる基盤は、やはりメスのいる「群れ」で、心身共にどうあがいても そこから離れることはできない。ハナレザルにはそういったことをスムーズにおこなうための、いろいろな生活の型があるのかも知れない。
 一方の群れは、資源の条件次第だが、群れに残るメスも基本的には増加の一途をたどる、やがては窮屈になり、そこで起きるのが群れの分裂であると思う。

 それにしても不思議なのは、オスの数が少ない?ことである。オスとメスは1対1で生まれるはずだ。だからもっと頻繁にハナレザルと出会っても良さそうなのだが、普段から群ればかりに気をとられているためか?、それとも群れの生息域から空白域にかけて、とても広く遠くに散らばってしまうからなのだろうか?。とまあ、なんだか断片を勝手に繋いだだけの根拠のない話で、いつか赤面する日がくるように思う。そのときはもう少しサルのことがわかったということだ、としよう。

 瞼の母は安価だったので買って帰った。43年ぶりに観たが、あの場面ではやはり涙がこぼれた。


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