東北六県の厩猿信仰の記録とニホンザル古分布域との相関関係について

2007年12月10日  中村民彦

 厩猿とは厩に猿の頭蓋骨や手の骨を祀り、牛馬や家族の無病息災、五穀豊穣、家内安全等を祈願した民間信仰である。
当信仰は東北全域に流布されていたが近代から現代における残留形態や口碑の全容は充分に解明されていない。
さらにこれに連関する捕獲(捕殺)の方法や猟具類等も不明である。

 現在までの調査結果は従前の事例も加えると、青森県(3点)、秋田県(27点)、岩手県(30点)、宮城県(5点)、 山形県(0)、福島県(0)の計(65点)を確認することができた。保存形態の内訳は頭蓋骨(59点)、手(5点)、足(1点)である。
頭蓋骨(59点)からわかった性別は、雌(37点)、雄(22点)である。年齢は5歳以下(3点)、6歳〜10歳(17点)、10歳以上(39点)である。 手の骨(5点)の中には外国産サルと推定される1事例もあった。
 頭蓋骨に関する口碑は「牛馬の守護神」「縁起物」「薬用」「火災防止」、手の骨には「豊作」と「安産」等の口碑を得た。
 頭蓋骨には無病息災と家内安全を、手の骨には五穀豊穣と祈願の内容に使い分けが認められたが足については不明である。
 また詳細な捕獲(捕殺)の方法や猟具類についての情報は得られなかった。しかし鉄砲以外の「トラバサミ」や「猿つきヤリ」等も散見された。

 当風習が広く流布し、サルの骨の流通にサル・マタギのような供給者も関与し、集団狩猟による捕獲が活発に行われていた。
これが東北地方のニホンザル生息地の消失を招いた一要因になった可能性も考えられる。

 三戸幸久氏(NPO法人ニホンザルフィールドステーション副理事長)は、北東北3県には江戸時代後期から明治10年ほどまで、 ニホンザルが全域に生息していた事を推測している(三戸(1992):東北地方北部のニホンザルの分布はなぜ少ないか.生物科学44(3), 岩波書店.)。
それが今では下北半島の個体群(青森県)、津軽地域の個体群(青森県)、白神地域の個体群(青森県、秋田県)、 五葉山の個体群(岩手県)の部分的生息が確認されているにすぎない。しかもこの3県からは厩猿の残留も確認されている。
北東北地方のニホンザル個体群の分布空白域が生じた要因は何か。生息地の環境変化も大きな要因である。
しかし当信仰の他にも食用、薬用、衣料等にと、捕獲された事象や口碑も少なくない。
これらの狩猟圧によってどれほどの数のニホンザルが捕獲されたのであろうか、計り知る事はできない。
分布の調査研究は民俗学的側面からのアプローチも重要である。厩猿の伝承とニホンザルの分布空白域との相関関係について、 今後の調査で更に検討を重ねてゆきたい


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