ニホンザル異界奇譚−その1−

雪中のサルとクマの死闘

 明治45年4月1日付の大阪毎日新聞につぎのような記事が載っている。


 雪の中、猿と熊が死闘(明治45年4月1日 大阪毎日)
 猿群、熊と闘う。島根県石見国西部地方に於いて、彼岸中に大雪の降りし事は既報のごとくなるが、同国鹿足郡七日市村字高尻の吉田屋新吉(四十七)なる者、去る二十日午後一時頃、コノ大雪を冒し商用のため隣村なる美濃郡匹見下村字西の郷に赴く途中、郡界の峠にて憩い居たる折しも、たちまち一匹の子猿が現れ、イキナリ同人の衣裳を引っ張り、いずれかへ連れ行かんとするもののごとくしきりに悲鳴を挙ぐるにぞ、新吉大いにおどろき怪しみ、小気味わるければソノまま立ち去らんとせしも、また好奇心に駆られ、小猿の導くままに八尺(33cm*8≒26m)余もあらんと思わるる雪の中を谷間に降りたるに、またまた霙(ミゾレ)降りきたりて、途を失わんとせしかば、断然思い切って元来た途に引き返さんとする途端、一丁(約109m)あまりを隔てたる処にて約三百匹もあるべき大小の猿群が、一匹の大熊を中に取りこめて組んずほぐれつ悲鳴、叫喚して大格闘をなし、内数十匹の猿は既に熊のために或いはさかれ、或いは打たれて四辺に打ち倒され、白雪を朱に染めたるが、残りの猿は歯を剥き、爪を立てて飛びかかり居れる凄まじき光景に、新吉は初めて子猿が我をココに伴ないしは、全く救助を求むる意なりしかと合点したると同時に、腰も抜かさんばかりに打ち驚き、ソノまま谷を這い上がりて、匹見上村に駆けつけ、高橋万吉、篠原虎蔵を初め三十余名の村民を駆り催して現場に赴き見たるに、前刻の大格闘はなおコノ時までも継続せられ、光景ひとしお凄惨を極め居れるに一同コレは驚きしが、ソノ中の銃を持てる者が早くもコレに向かって一発発射したれば、熊も猿も驚きて山林深く逃げこみしより、人々格闘の現場にいたりて仔細にコレを視れば、紅を散らせし雪の上には百余匹の猿の屍骸散ちらばりあり、さながら戦場の跡を観る思いありて、人々今更身の毛をよ立てしも、難なく百余の猿を獲たる事とて一同勇み喜んでコレを収めつつ帰村せりと。(松江通信)

 資料・出典:「明治ニュース事典第八巻(明治41年〜明治45年)」1986年一月十五日発行、明治ニュース事典編纂委員会・毎日コミュニケーションズ出版部、p.254〜p.255。


 こんなことが本当にあったのだろうか。
 サルとクマが闘うことがあるのか?
 サルが人のを引っ張っていくことがあるのか?
 当時のサルの生息状況データと当NPO法人スタッフの現地調査も踏まえてこの記事を検証・分析。
 詳細は、次号のNPO法人ニホンザル・フィールドステーション、ニュースレターにて掲載。

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